―校舎を活動拠点として選んでくれた、利用者のみなさんをご紹介するインタビューページ。
第一弾はゆるやか文庫・青山優歩さん。聞き手はわたくし、「みそぎの里」運営をしている水谷がお送りいたします!さっそくお話を聞いていきましょう◎
校舎ではどんな取り組みを行っていますか?
大洲和紙を専門に扱う印刷所ということで、主に活版印刷、シルクスクリーン印刷、インクジェットによる小部数や、個人向けの印刷を受けています。
この取り組みをするに至った経緯としては、まず、大洲和紙の価値をあげたかったというのがあります。
そこまで多くの産地を巡ってきたわけではないですが、これまで私が見てきた和紙産地の中では、大洲和紙は価格がとても安いと思いました。安いけれど、手間は他の産地となんら変わりないので、もったいないなぁと思って。
これは和紙の話に限らずではありますが、地元の人からしたら当たり前のものすぎて、あまり使われていなくて。それがやっぱり他から入ってきた身としてはもったいないし、もっと使える場所があると感じたので、そういった使い方も提案していけたら良いなぁと。
―なるほど。価値を上げていく伸びしろがあると思われたんですね。そもそも、青山さんは元々デザインのお仕事をされていたんですよね。そこから「和紙」に特化した今の取り組みに至った経緯というのは?
元々は和紙というより、紙全体が好きだったんです。
当時私がしていたデザインは大量生産向けの商品パッケージだったので、紙という同じ分類でありながら、和紙は使われる機会が少なくて。というのも、和紙は値段が高く、写真を入れるとなると洋紙に比べてきれいに印刷が乗らないという点で選択肢から外されてしまうんです。
そういうのを見てきて、パッケージ的にも本当はもっと使えるんだろうなというのと、さらにパンフレットなどにももっと使っていけたら面白いだろうなという可能性を個人的に感じ始めて。もっと使われてもいいのに、使われない理由ってなんだろう?と。
このままデザインをやっていくのか転職をするのか迷っている時期に、和紙産地でもありながら和紙への印刷サービスも提供している会社を見つけて。調べていたら、学生の時に感銘を受けた、ある美術館の空間で展示されていた写真作品に使用されていた大型の和紙もそこが制作したものだとわかって。自分が和紙に興味を持ったきっかけが「和紙に印刷をする」ということだったのでピンときて、そこへ転職して和紙の基本的なことを学びました。
―パッケージデザインのお仕事の中で、「和紙に印刷する」ことの難しさに出会い、でもそれが和紙そのものについての興味に結びついていったのですね!ではそこから、どのようにして五十崎での図書室、そしてここ「みそぎの里」での印刷室開業に至ったのでしょうか?
学ぼうと思ったら、まだまだその場所にいたほうが良かっただろうなという思いはありつつ、自分がやりたい方向とのギャップを感じ始めて。その頃自分の興味は「一つの産地にこだわらずに和紙全体の魅力を伝えること」「個人で頑張っている人も支えられるような場所」に向き始めていました。
そんなときに、内子でnekiという和紙のお店をしていた酒井真弓さんと出会い、お話する中で、個人で活動していくことの可能性を感じて。同じようなことを考えている人がいるならやっていけるかも、と思って内子に移住しました。
私は和紙に関する本をおそらく一般の人よりもたくさん持っていて。そういう集めていた本をシェアすることから、情報交換の場として色々なことが広がっていくんじゃないかな、という思いでまずは図書室を始めました。
また、和紙を学びに行った時点でデザインの仕事から離れる覚悟はしていたので、仕事はデザイン関係とは別のもので探しました。大洲にある青少年交流の家という施設で、ハガキ作り体験のプログラムを教えられる人がいないということで、私はその経験者ということもあり雇ってもらいました。
図書室を開きつつ、お仕事とは別で、nekiの真弓さんと一緒に内子の商店街のお祭りで紙漉き体験のワークショップも行っていました。
内子に来る前は、自分と同じようにデザインで和紙を使いたい人、つまり大人に向けて和紙の魅力を発信していきたいと思っていたけれど、内子に来てからは、子供たちにそういう魅力を伝えるのも大事だなと思うようになりました。
そうこうしているうちに、いつの間にかデザインの仕事も舞い込んできたりして、最終的に個人で仕事をする=独立するとなったらデザインなのかなと思い始めていて。
デザインだけでは弱いと思っていたのですが、図書室店頭の暖簾などでも使っていたシルクスクリーン印刷だったら、印刷の面白さも気軽に伝えられるんじゃないかと思い、そういう体験ができるような場所を作ることと、個人で仕事にするデザイン、それに和紙を絡められたら一番良いなと考えるようになりました。
そういった印刷の体験ができる場所として、広いスペースと水場が欲しくて、そうなると今の図書室の場所では難しいと思い始め、どこか場所がないかなと思っているときに御祓小学校の話を聞いて、学校だったらもう水場があるじゃんとなり・・・
―ちょうどその頃、図書室の蔵書が増えてきたことで、置き場に困っていると相談に来られていたんですよね。住居としての空き家がたまたま御祓で見つかったこともあり、小学校の空き教室に、溢れた蔵書を置かせてもらえないかというお話で。その時に、御祓地区としても空き教室を活用していきたいというお話をして、お互い盛り上がって話が転がり始めました。
たまたまそんなタイミングで、料理家の寿喜多さん(東京からIターンで内子の石畳に移住。東京時代、活版印刷会社であるALL RIGHT PRINTINGに勤務)から、活版印刷機を譲り受けないかというお話をいただいて。
元々活版には興味があったけど、自分じゃなくて、活版印刷屋さんが内子に移住してこないかなと。内子は移住者が多いので、想ってたらいつか来てくれるんじゃないかという変な自信があって(笑)
けれど、まさか機械がこうやって来ることになるとは思わず、しかも自分が独立を迷っていて、デザインだけでやっていけるのか?と迷っているタイミングだったので。「もう私がやるしかない!」と思って、機械を引き継ぐことになりました。
インクジェット印刷には限界があるけど、活版ならデコボコした紙でも印刷できるので可能性が広がる。だから「この印刷機があったら、和紙を生かせる。そうしたら、もう大洲和紙専門の印刷所をやろう!」と思って。
そうした流れで御祓に移住し、印刷所を開設することに決めました。
―改めて聞くと、なんだかすごいタイミングとご縁ですよね。場所も、機械も、示しあわせたようにピタッとハマってくれて・・・。そんな印刷室での取り組み、今後はどのような展開になりそうですか?
和紙の価値をわかってもらうのに、「体験」をしてもらうことが一番伝わる手段だと思うので、活版印刷とシルクスクリーンを和紙に印刷するのを実際に体験してもらえるような、みんなが使える工房の仕組みを今考えています。
ゆくゆくはこの場所(校舎)で一冊の本が作れるような総合工房を作りたいです。例えばオリジナルの紙をkami/さんのアトリエで作って、ここで印刷して、製本する場所。大量生産はできないけど一冊からオリジナルの本を作れる、そんなことができる場所を作りたいです。
―楽しみですね~。総合工房も答えの一つになるかもしれないですが、今後この校舎や地域がどんな場所になっていったら良いなと思いますか?イメージや妄想でも(笑)
妄想は、、いっぱいあります(笑)
そもそも図書室をはじめたのが、地域の人とフラットに繋がれたら良いなというのがあって。
やっぱりデザインとか、若者が集まると近寄りがたくなってしまう方も地元の中にはいらっしゃると思うので・・・その辺がうまく緩和できるような施設の仕組みを作りたいですよね。
みそぎの里カフェで計画中の「市場の日」(お野菜直売日)は実現したら良いなと思うし、そとここ蚤の市(※)のようなイベントも定期的にやりたい。
あの仕組みが一番繋がりやすい気がしてます。
(※)そとここ蚤の市…内子町内の屋外スポットを舞台に、食やものづくりなどを楽しむイベント「そとで、ここで」。みそぎの里が会場となった第3回では、地域の人から譲り受けた不要な古物を、蚤の市としてオープンなものに。蚤の市ブースには、イベントに来場したお客様だけでなく、ご近所の地域の方々もたくさん集まってくれた。
よくお寺とかで定期的に縁日や蚤の市のようなものをやっていると思うんですけど、そんなイメージです。校舎が地域の人たちにとってのお寺的な場所になれたら良いのかな~。
―お寺!良いですね!昔から小学校は地域の中心的な存在だったと思うので、形は変われど、これからも地域の真ん中にあるような、そんな場所を作っていきたいですよね。今日はお話聞かせてくださりありがとうございました!